2001/08の湾岸署
[2001年08月24日(金)]
「うちのベランダの観葉植物が飛んでっちゃいました」
と、雪乃。
「あ、台風で?」
と真下。
「えぇ、あの日家に帰れなくて署に泊まったでしょ?その間に飛んでっちゃったみたい」
「ハチごと?」
「ううん、上だけ」
「あちゃあ」
テレビのモニターではちょうど天気予報をやっていた。
天気図にもう台風はない。
雪乃がつぶやく。
「あれ、青島さんに貰ったんだけどなぁ・・・」
真下は聞き逃さなかった。眉毛の片方がピクリと上がる。
同時に袴田が受話器を抑えながら叫んだ。
「駅向こうの花屋で強盗だ。誰か言ってくれ」
素早く手を挙げる真下。
「はい、僕が行きます!」
というと、すぐさまカバンを手に飛び出して行った。
横で新聞を読んでいた和久は顔を上げ
「分かりやすいなぁ・・・」
と呟くと、ページをめくるのだった。
[2001年08月21日(火)]
「何やってんの?」
コンピュータルームを覗き込む青島。
真下がパソコンに向かってキーボードを叩いている。
「削除依頼です」
と返事はするが手は休めない。
「え、何の?」
と聞き返す青島に、ようやく真下が顔を向けた。
「先輩非番でしたっけ?」
「え?」
「こないだ若い女の子が来て、内容が内容だけにすみれさんに対応して貰ったんですけど」
「昨日か?」
「あ、そう昨日です。エッチな掲示板に電話番号とか載せられたって」
「あぁ最近多いらしいねぇ」
とマッチ片手にくわえタバコでパソコンを覗き込む青島。
「すぐに教えて貰ったらしくて実害はなかったみたいなんですけどね」
と言いながら青島のタバコを奪い取る。
「禁煙ですよ、ここ」
「あ、わりぃわりぃ」
と真下から返して貰ったタバコを箱に戻す青島。
「とりあえず削除して欲しいっていうので、管理人に削除依頼出してるんです」
「そっか」
「訴えることも出来るんですけど、今回はいいっていうから削除だけです」
と真下は再びパソコンに向かった。
「こんなのも強行犯の仕事なんだ」
と青島。
「珍しいですね、先輩がそんなこと言うなんて」
チラリと青島を見る。
「いや、そうでなくてさ。うちにはお前がいるからいいけど、ヨソは大変だろ」
と青島が返すと、真下は溜息をついた。
「そうなんですよ。だから勝鬨署の仕事もこっちにまわってきてるんです」
と書類の束を見せる。
「へぇ。勝鬨がねぇ。背に腹はかえられないってことか」
「そうみたいですよ。あの四角い顔の刑事がこれ持ってきたんですけど、悔しそうでしたよ」
とブラウザの更新ボタンを押すと、既に該当書き込みは消されていたのだった。
「仕事早いねぇ」
と言われ照れる真下。
「なのに出世しねぇなぁ」
と言われ沈む真下。
[2001年08月18日(土)]
「おや?」
と青島は首を傾げて手を拭きながらトイレから出てきた。
ちょうど真下とすれ違う。
「おい」
「なんです?」
「何だか、水の出が悪くないか?」
とトイレを指し示す青島。
「あ、取水制限ですよ。署内の元栓を少し閉めたみたいですよ。こういうご時世ですし」
と言うと、真下はトイレに消えた。
「ご時世ねぇ」
という青島は、
「お前も何か制限されるかもな、頑張れよ」
と、青々とした観葉植物の葉を撫でるのだった。
[2001年08月17日(金)]
歩いていた青島と和久に女性の怒鳴り声が聞こえた。
「もう、何度いったら分かるの!」
女性が幼い男の子を怒っていた。
「ごめんなさい、おかあさんごめんなさい!」
男の子は泣きながら謝っている。
その母親らしい女性は
「歩くときくっつかないでって、言ってるでしょ!」
と手を挙げかけたが、その腕を青島が掴んだ。
「ちょっとなによ!」
母親はヒステリックに叫んだ。
「湾岸・・」
と言いかけた青島を制して、和久が口を開いた。
「ほら、子供も泣いて謝ってんじゃねぇかよ」
と言うと、腰を曲げ子供の頭を撫でた。
「自分の子供の躾を親がして悪いの!」
ますますヒステリックになる母親。
「ほら、躾だ。いいかい、躾だって言ってどれだけの子供が死んでってるか、知ってるか?」
という和久の言葉にギクリとなる母親。
「こんだけ毎日暑いしよ頭にくんのは分かるけど、子供にあたるのはよくねぇなぁ」
子供の手や足に青あざが出来ているのを見つけて、寂しそうな顔の和久。
しかし子供はすぐに和久から離れて、母親の足下にしがみついて顔を隠した。
「ほら、子供が頼るのはママだけなんだよ」
と腰を叩きながら上体を起こす和久。
「坊主、ママ好きか」
と聞くと、こわごわと、しかししっかりとクビを縦に振る男の子。
母親は何も言えなくなる。
「あんたにとっては躾かもしれねぇが、なんのことはねぇただの暴力だ」
と和久はまだ腰を叩いている。
「親を見て子は育つって言うだろ。手ばかり挙げてたらロクな子になんねぇぞ」
と言うと、何も言えないままの母親を置いてその場を立ち去る二人。
「よぉ、青島よ」
と和久。
「はい?」
と青島。
「こういうのはよ、刑事だとかそういうのは関係ねぇんだよ」
「はい、勉強させてもらいました」
「たぶん悪気があるわけじゃねぇんだよな。育て方が分からねぇだけなんだ」
「はぁ」
帽子を脱いで頭を掻いた和久は
「ああやって一言かけて気付かせてやるだけでも、違うと思わねぇか」
と言った後、
「なんてな」
と小さく笑った。
振り返った青島に、中腰になり男の子の顔をハンカチで拭っている母親の姿が見えた。
[2001年08月13日(月)]
「おぉ、久しぶりだな」
最初に見つけたのは和久であった。
「お久しぶりです」
軽く会釈をし
「お元気そうで」
と続けた。
「元気も元気。もう少しで死にそうって事以外は元気だよ」
と和久は笑った。
「何言ってるんですか。青島が一人前になるまで指導してくれないと」
「そりゃ百年かけたって無理だよ」
と和久がお茶をすすったところで
「室井さん!」
と叫んだのは青島である。
室井は再び会釈をして見せた。
「どうしたんすか。昨日も来たんですって?」
青島は書きかけの書類を横に投げタバコをもみ消し、室井に歩み寄った。
「あぁ。近くを通りかかったんだ」
と室井。
「で、用事って何です?」
と青島。
「いや、昨日も来たということを伝えに来ただけだが」
「は?じゃあ昨日の用事は?」
「明日も来るということを言いに来ただけだ」
「はぁ?なんすか、暇なんすか」
と呆れる青島。
後ろから顔を出したのは、すみれ。
「違うわよ。署長たちがお中元出したらしくって、直接お礼をしにきたのよ」
と笑った。
「あ、そうなんすか」
と青島。
「じゃあもう暇なんすね。向こうで一服しましょう」
と休憩室を親指で指した。
室井は
「あぁ」
とだけ返事をすると、青島に手を引かれて休憩室に導かれていった。
それを見送るすみれと和久。
「なんだ、室井さんやっぱり青島くんに会いに来たの?」
とすみれ。
「しかしなんだな」
と和久。
「室井さん、夏でもスーツ着こんで汗一つかかないんだな」
と感心している。
「前から睨んでたんだけど」
すみれは腕組みをして言った。
「きっと室井さんて、ロボットなのよ。向こうで隠れて青島くんがメンテしてんじゃない?」
笑う和久。
「青島がメンテしてんじゃかなりのポンコツロボットだなぁ」
というと、二人笑うのだった。
[2001年08月12日(日)]
「先輩」
外から帰ってきた青島に真下が声をかけた。
「なに?」
と鞄を置く青島は汗だくである。
「さっきまで室井さん、来てたんですよ」
「あ、そ」
「なんだ、素っ気ないですね」
と真下。
「なに、じゃあ『室井さんだって!キャア!どこどこ!』とか言えばいいわけ?」
と真下を横目で見ながらタバコに火をつける青島。
「いやですよ、気持ち悪い」
と苦笑いの真下。
「で、なんだって?」
と椅子に腰掛けタバコの煙を吐き出す青島。
「いや、先輩に用事があるみたいでしたけど、ほらこっちも忙しいですから」
「あぁ」
と課内を見渡す青島。誰もいない。
「今日は和久さんたちが浦安の応援だっけ」
「そう、電話取ってる間にいなくなっちゃいました。明日また来るとか来ないとか」
「どっちだよ」
「どっちかです」
また電話が鳴り、真下は受話器に走っていった。
「室井さん・・・何の用かな」
タバコの灰を灰皿に叩きながら、首を傾げる青島であった。
[2001年08月11日(土)]
車内である。
「こんなに人がいない街あるんですね」
と雪乃。
「いつもは賑やかよ。ミッキーのせいね」
とすみれ。
「今はプーさんの方が人気あるそうですよ」
と真下。
「あぁ、腹減った」
と青島。
ここは浦安である。
一同は車でゆっくりと巡回している。
「じゃ、ここの角にしよう」
と青島が指を差したところに車を横付けする。
停止するなりそれぞれがドアを出てキョロキョロしながら四散していった。
青島はとある家の塀越しに中を覗いていたが、一人の婦人が声をかけてきた。
「あんた、なにやってんの?」
婦人もそう言いながら青島が覗いていた塀を覗き見た。
「いやね」
青島は説明した。
「ほら、今日ディズニーシーの日でしょ?」
「それで?」
「みんな無料で入れるからってそっちいっちゃって空き家多いでしょ、今日」
「あ、あんた空き巣かい」
と婦人は睨んだ。
「そうじゃないっすよ」
慌ててかぶりを振る青島。
「空き巣に入られないように見回りしてんすよ。人数足んないから、僕らは手伝いで湾岸署から・・」
と遠く台場を指さしたが、ちょうどそこに
「そっち行ったわよ!青島君!」
とすみれの怒鳴り声。
慌てて振り返った青島の目に、頬被りをしたひげ面の男が現れた。
すみれたちから逃げてきたためか肩で息をしている。
「うわ、いかにも泥棒って泥棒だねぇ。コントみたいだよ」
と青島が笑うと、そのスキに逃げようとする泥棒。
しかし即青島に襟元を捕まれ、
「逃げてもダメだよ。はい、署まで同行ね」
と言われると観念して小さくなってしまった。
その一部始終を見ていた婦人。
「あらあんた、ほんとに警察の人だったのね」
と嬉しそうにすると
「なんかドラマみたいなの見ちゃったわ」
と甲高い声で笑っている。
追いついたすみれたちに泥棒を引き渡した青島はタバコに火をつけた。
「刑事みたいっしょ」
と笑う。
「うん、刑事みたいだったわ」
と婦人も笑ったあと、あっ、というと
「今日も暑くなるらしいけど、これでも飲んで頑張ってね」
と、買い物カゴからペットボトルのお茶を差し出した。
「いや、こういうの貰えないっす」
と青島は手の平を見せるが、
「いいからいいから」
と婦人は無理矢理押しつけ、また笑いながら去っていった。
青島は少し照れたようにタバコの煙を吐き出すと、ペットボトルのキャップを開けた。
口を付けようとするその視線の先に、青い空に白い雲が浮かんでいるのが見えた。
青島はニッコリと、笑った。
[2001年08月02日(木)]
「おめぇ、なんとか色素多いだろ」
と汗をぬぐう和久。
「は?あぁ、メラニン色素すね。多いかもしんないすねぇ」
と答えた青島は日に焼けて真っ黒になっている。
「でもほら、忙しくて遊びに行けないからこんなに色が違っちゃって」
と腕をまくる。
「こっちは黒いのにこっちは白いんすよ」
と指を差した。
「はぁ?」
と和久。
「どこが白いんだよ、どこも真っ黒じゃねぇか」
「何言ってんすか。ほら、ここまでが日に焼けたとこで、こっちは焼けてないとこ」
「微妙には違うが・・・白かねぇぞ」
「オレにとっちゃ、これが白んなすよ」
「そか」
とあっさり応える和久。
「なんすか、興味ないなら訊かないでください」
と青島。
「訊いてねぇよ、おめぇが勝手に見せたんじゃねぇか」
「なんだよまったく・・」
と今度は青島が汗をぬぐった。
「ほれ、おめぇもあんくらい涼しげになってみろ」
「うん?」
和久があごで指し示した方向には、リヤカーを引っ張る風鈴屋。
車が動くたびに風鈴が小さく鳴っている。
「おめぇはそばにいるだけで暑苦しいからなぁ」
と和久。
「じゃあチリンチリン言ってましょうか。チリンチリーン」
と青島。
「うるせぇなぁ。余計に暑苦しい」
と笑う二人。
その瞬間リヤカーが小石を跳ね、一段と大きい風鈴の音を響かせたのだった。