odoru.org

2000/09の湾岸署

[2000年09月27日(水)]

「もう温かいコーヒーの方がよくなってきたねぇ」
「でもそうしてるとまた暑さが戻ったりするんですよね」
「そうだねぇ。この時期は面倒だよねぇ」
魚住と真下がコーヒーをすすっている。
「そういえば今年の結婚記念日は何したんですか?」
「あ、ああ、よく覚えてたねぇ」
「去年先輩と話してるの横で聞いてたし、僕にも何がいいかなって訊いてたじゃないですか」
「そうだったかねぇ」
「僕はこれでも日記付けてるから、覚えてるんです。で、今年は?」
と真下はコーヒーに口を付けた。
「今年は食事に連れてったよ。子供達も大きくなったから、二人きりでね」
「いいですねぇ。喜んだでしょ」
そういうと二人は魚住の机の上の写真立てに目をやった。しかし魚住からはため息が出た。
「それがさ、レストランでちっちゃなことでケンカになってさぁ。台無し・・」
「はぁ・・」
「来年はなにしよっかなぁ・・・」
「結婚て大変ですね・・・」
二人の横の窓からは、鳴きながら飛ぶカラスが見えた。

[2000年09月26日(火)]

「じゃーんけん、ほいっ」
青島はパーですみれはチョキである。
「やったっ」
喜ぶすみれ。
「で、どっちにすんの?」
覗き込む青島。
「・・・あ」
思い出したすみれ。
通りかかった雪乃が尋ねた。
「二人とも、なにやってるんですか?」
すみれは腕組みして考えている。説明するのは横の青島。
「ほら、これ」
と指し示したのは机の上。
キムチラーメンとわさびラーメンが並んでいる。
「どっちがどっちを食べようか、考えてんのよ」
と青島は笑ったあとすみれをつついた。
「ほら、早く選ばないと伸びちゃうよ」
「うるさいわねぇ、分かったわよ。はい、こっち」
とすみれが手に取ったのはわさびラーメンであった。
「じゃ、俺こっちね」
とキムチラーメンの蓋を開けると
「そっちも美味しそうよねぇ・・」
とすみれが覗き込んだ。
それを見た雪乃は
「半分ずつ食べればいいのに」
と呟いたが
「そうはいかないのよ」
とすみれが返す。
「どうして?」
目を丸くする雪乃。
「青島くん、口内炎できてんのよ。移るのイヤなの」
と応えたすみれは、諦めた顔でわさびラーメンをすするのだった。

[2000年09月25日(月)]

青島と真下が現場に向かい歩いている。
「涼しくなったよねぇ」
海からの風で青島の髪がなびいている。
その横を激しいサイレン音と共に消防車が通り過ぎていった。
「乾燥しててこの風ですからねぇ。火事にもなりますかぁ」
と真下はのんきに言っている。
すると今度はパトカーが数台連なって消防車を追いかけていった。
「ん?放火か?」
と青島は緊張してパトカーの後ろ姿を睨むが、それぞれ別々の方向に曲がっていった。
「違ったか・・・」
ホッとした顔でタバコを箱から口でくわえる青島。
マッチを探していると、真下が話しかけてきた。
「ねぇ、先輩」
青島は胸ポケットからマッチを出すとようやく火を付けた。それを見ながら真下が続ける。
「僕たち、なんでパトカー使えないんですかねぇ」
「使えないなんてことはないだろ」
「書類書いて、課長の判子貰って、警務課に出すんですよね。そんなの分かってますよ」
変な手振り付きで訴える真下。
「覆面だってあるじゃない」
と青島はタバコをふかしながら返した。
「あれだって台数少ないじゃないですか。現に僕たち今歩いてますし」
「何お前歩くのがイヤなわけ?」
「いや・・そういうわけじゃ・・・」
「お前ねぇ、刑事は脚を使ってナンボの世界だよ。もっともキャリアは運転手付きのリムジンかもしれませんがね」
青島は笑いながら最後はわざと敬語でそう言った。
「ぼ、僕は、キャリアですけど今は湾岸署の刑事です」
真下は真面目に応えた。
「わかってるよ、そんなこと」
青島は横目で微笑むと、火のついたままのタバコをくるくる回しながら続けた。
「あと一つ、重要なことがあるんだな。俺も最近気付いたんだけどね」
「なんですか?」
「警察官というのは子供達のヒーローだからな。恰好が大事なんだ」
「それ、和久さんの口癖でしょ。僕もだるまで言われました」
「まぁ、そうなんだけどね。パトカーもそうなんだ」
「?」
キョトンとする真下に鼻でククと笑って青島はいった。
「パトカーにね、私服警官は似合わないんだよ」
タバコの煙を出し続けている青島をしばし見つめる真下だったが、ニッコリ笑うとまた青島の横を歩き出すのであった。

[2000年09月22日(金)]

「なんで毎日青島くんと一緒に歩かなきゃいけないわけ」
「仕方ないじゃない、窃盗と傷害が一緒に起こってるんだから。犯人に文句言いなよ」
ぷんぷん怒っているすみれとそれをなだめようとしているのかどうなのかよく分からない青島。
「あっ」
すみれは何かに気付いてゆび指した。
「あ、昨日の・・」
青島も気が付いた。
二人で避けるとカップルが自転車で二人乗りしてその間を抜けていった。
すっかり自分たちの世界に入っているので青島達には目もくれない。
「毎日羨ましいねぇ」
青島はしみじみ唸ったがすみれは
「やっぱり毎日一緒にいたら私たちもアツアツカップルに見られるわねっ」
と慌てて歩を進めた。
「別にいいじゃないの・・」
と青島が呟くと、それと同時に聞き慣れた声がスピーカーを通して響いた。
「はい!そこの高校生!二人乗りはやめなさい!」
青島とすみれが同時に振り返ると、先ほどのカップルが頭を掻きながら自転車から降りているところだった。
そのすぐ横にミニパトがいる。
ミニパトはカップルが自転車から降りるのを見送ると、静かに青島達に寄ってきた。
青島とすみれが見ているとウィンドウがゆっくりと開いた。
「うわっ」
と唸ったのは青島。
「はい!そこの二人!ボーッとしてないで仕事仕事!」
と大きな声と共に青島に向かって指さしている。
「く、桑野さん!?」
とすみれが声にならない声を出すと、ミニパトの中の桑野はニヤッと笑いその顔のままウィンドウを閉じて去っていった。
「げ、元気そうだね」
たじろぐ青島。
「えぇ、まったく」
かしこまって返すすみれ。
しかしミニパトの後ろ姿は、少し楽しそうであった。

[2000年09月21日(木)]

渋滞の車窓から高校生くらいのカップルが並んで恥ずかしそうに歩いているのが見えた。
「あらあら、いいわねぇ」
「すみれさんにもあんな頃あったの?」
「うふ、そりゃあねぇ・・」
すみれははにかんだ。
「信じられねーな。想像つかないよ」
怪しそうな視線を送るのは青島。
「どうゆう意味よそれ。青島くんはどうなのよ」
「おれ?そりゃあ・・・」
「振られてばかりだったんでしょ」
「当たり。サル顔は当時人気なかったのよね」
「あはは。私もね、陸上やってたから毎日走ってばかりだったなぁ」
「そうなんだ」
「好きな先輩がいたんだけどね、男子陸上が人数少なくて廃部になっちゃって、それきり」
「すみれさんも青春してるじゃない」
自分の肩ですみれを押す青島。
「そりゃあねぇ。うら若き乙女だったもんね。で、自分はどうなのよ」
「おれも片思いしてたよ」
「へぇ、それでそれで?告白、したの?」
「いや・・出来なかった。随分年上だったしさ」
「年上好き?」
「いや、知らない間に追い越してたけどね」
「なによ、それ」
「峰不二子」
それと聞いた途端に軽くため息をつき再び窓の外を向くすみれ。
「それで毎日テレビにかじりついてたらさ、おふくろから『テレビは二時間までよ』って怒られてさ・・」
続く青島の言葉はすみれのBGMになるだけだった。
まもなく二人を乗せたタクシーが、現場につく頃。

[2000年09月20日(水)]

「おはようございますっ」
といつものように刑事課に入ると、こもった声で
「おはようございます」
と聞こえてきた。
「あれ、武くんどうしたの?」
と横から覗き込まれた武がすみれの方を向くと、鼻にテッシュが詰まっていた。
「また、花粉症?」
と訊かれた武はクビをブルブル振り。
「いや、朝晩冷えるじゃないですか。風邪みたいで鼻水止まらないんです」
と、鼻声で応えた。
「鼻の粘膜弱いのね」
と武の肩を叩きすみれはカバンを置いた。
その瞬間
「ぶわっくしょん!」
と大きなクシャミが聞こえてきた。
それと同時に入ってきたのは青島。
「おはよ。青島くんも鼻の粘膜弱いの?」
と軽く微笑んで首を傾げるすみれだったが、青島は武をチラリと見ると
「違うよ、俺のことを女の子達が噂してるのさ」
と変なポーズをとって見せた。
するとそれまで警務課の婦警と話していた袴田。
「おい青島、なに遊んでるんだ。こないだの始末書書き直しだ」
と始末書をバタバタさせている。
「へ?」
「誤字だらけなんだ。お前、始末書の始末書書くか?」
そう言われて何も言えなくなっている青島に
「すっかり噂で持ちきりだったみたいね。よかったわね」
と、すみれは肩を叩いたのだった。

[2000年09月19日(火)]

「先輩、カバンなんでそんなに大きくなってんですか」
「お前こそそんなんで大丈夫なのか?」
真下と青島が歩いている。
「あ・・ここです」
指さしたのは小さな精肉工場である。
カバンの中から書類を出す青島。
「えーと、肉の塊が盗まれてぇそのときに警備員が冷凍肉で殴られて失神・・と」
「はい、それが彼です」
門の横でガードマンが敬礼している。
「案内してくれる?」
と青島が声をかけるとガードマンは、こちらです、と手のひらで指し示した。
鍵を開け大きな扉が開いた。
「うわぁ」
と言いながら入っていく真下。
その後をガードマン、青島が続く。
真下はすっかり奥に入ると
「南極ってこんなんですかねぇ!」
と叫びながら両肘を抱えている。
そこから男が飛び出してきて・・、とガードマンが説明するのを青島は場所を確認しながら頷いている。
「やっぱり寒いですねぇ」
と歯の根も合わなくなった真下が振り返ると、青島は冬のコートに身を包んでいた。
「先輩だけずるいですよ!」
寒さも忘れて青島に飛びついた真下だったが、またすぐに震えだした。
「だから大丈夫か?って訊いたのに」
「そういうことは・・出る前に・・言ってください」
「訊かないからいけないんだ」
「どうでもいいから・・その・・中の・・インナーだけでも・・・」
「これ?やだよ、外すのめんどくさいんだもの」
と青島はコートの裏地を見せて言った。
「でも・・このままじゃ・・」
もう何を言っているか分からないほど震えている真下。
「いいよお前。外で待ってなよ、ほら」
「じゃ、お願い・・・します」
トボトボと出ていく真下。
それを軽く見送る青島。
「ったく・・何しにしたんだよ」
と呟くとコートのジッパーを引き上げて、仕事に戻るのだった。

[2000年09月17日(日)]

バサッバサッと窓ガラスが音を立てている。
「すごい雨だねぇ」
と青島はタバコの煙を吐き出した。
「こんな日は悪人も外出できないみたいね」
とすみれは刑事課を見渡す。珍しく皆デスクワークをしている。
「青島くんも始末書書かなくていいから、いいわね」
とすみれは青島に笑った。
「何だよ、どういう意味よ、それ」
と、タバコをくわえたまま目だけすみれに向ける。
「外に出なきゃ始末書書くようなことも起こらないもんね」
「俺が外に出たら始末書書かなきゃいけないの?」
「分かってるくせに」
とすみれに言われてフンと鼻で笑って返す青島。
窓越しに空を見上げると
「こんな湿度の高い日は・・」
とタバコの灰を持っていた灰皿に落とす。
「シャツにアイロンかかりやすくていいよね」
短くなったタバコを再度くわえた。
「なに主婦みたいなこと言ってんのよ。それに青島くんアイロンなんてかけないでしょ」
とすみれは青島のシャツの襟を見て言う。
「ちゃんとかけてるよ失礼だな」
青島は自分の胸のあたりをつまんだ。
「あ、ほんとだ。なんで襟だけかけてないのよ」
「ファッションだよ」
「全然ファッショナブルに見えないわよ」
「ダメだなぁ、見る人が見れば分かるのさ」
その二人の後ろに雪乃が立つ。
「私にも無精にしか見えないですよ」
と淡々と言うとそのままどこかへ行った。
「ほらね」
すみれは威張って青島を見上げる。
「はぁ、俺の心も土砂降りだよ・・・」
と青島はまた窓の外を見た。
「青島くんは大丈夫よ。頭の中はいつでも春なんだから」
とすみれは笑った。

[2000年09月16日(土)]

「和久さんは?」
「ほら、あそこ、ほら今刑事課に入ってく」
「あ、ほんとだ、してるしてる!」
柱の陰から覗いてるのは交通課の婦警達である。
「昨日は『こんな派手なのしてられるか』って言ってたけど、ちゃんとしてるじゃない」
圭子はニコニコと満足気だ。
「うんうん」
葉子と妙子も嬉しそうに笑った。
その横を刑事課に走っていく青島。
「和久さん、ちょっとこの書類の書き方・・・」
と言いかけたところで、振り向いた和久の胸元に気が付いた。
「今日はまた派手っすねぇ」
とネクタイを取った手は、和久に叩かれた。
「うるさーな。似合ってんだろ?ほら」
と気取ってみせる和久。
「若作りっすか?」
「そうじゃねーよ。ダンディーなジイさんっていうんだよ」
「ダンディーねぇ・・・」
あごに手を当てしばらく和久を見た青島は
「まぁ自分でそう思う分にはおれは口出ししませんけどね」
と、無造作にタバコを出してくわえた。
「こりゃお前、愛がこもってんだからな」
と和久。
「何がいい歳して愛ですか。それよりほら、この書類・・・・」
と、青島と和久は仕事モードに戻った。
その様子をいつまでも見ている三人の後ろを夏美が通る。
ふと壁を見て何かに気付き手を伸ばした。
「今日は山下さんの係でしょ。忘れてますよっ」
と言いながら、壁の日めくりを破いた。
「あ、忘れてた」
と呟いた夏美の手の暦には、15日敬老の日、と赤く書かれていた。

[2000年09月15日(金)]

魚住は椅子に深く腰をかけ首に手を当てながらやや曲げて呟いた。
「青島くんは大丈夫かねぇ」
先ほど帰ってきたばかりの和久がそれを聞いて、尋ねる。
「青島が、どうかしたのかい?」
「いやね、傷害事件が二件ほどあって真下君と飛び出てったんですけど」
「お、いつも元気だなぁ」
魚住はやや身体を前にのり出して続けた。
「どっちも勝鬨署との境なんですよ」
「おぉ、そりゃ大変だ」
「でしょ?」
「あいつは勝鬨の連中から特に嫌われてるからなぁ」
と腕を組む和久。
「遭わなきゃいいけど・・・」
と魚住がコーヒーに口を付けたところに、青島と真下が戻ってきた。
「ただいま帰りましたぁ」
と言ったのは真下。隣の青島は不機嫌そうに黙って席についた。
「おい、おいっ」
和久は一応腰を低くして真下を手招きした。
「やつぁどうしたんだ。ケンカでもしたか?」
「いや、それが・・」
真下は頭を軽く掻いて続けた。
「勝鬨署の人達に三回も遭ったんですけど、遭うたびに先輩『お前やめたんじゃなかったのか?』って言われてたんです」
「なんだ?そりゃ・・」
真下と和久そして魚住が同時に見ると、青島は廊下の誰かに気付いたらしく飛んでいった。
「署長!」
「な、なんだい」
驚いてややのけぞる神田。
「署長っすね」
「何がだね」
曲がってもいない自分のネクタイを直す神田。
「勝鬨の誰かに俺のことやめたとか言いませんでしたか」
「僕は言ってないよ、そんなことは」
「本当ですか?」
「そんなの嘘ついてどうすんのよ。言ってないってば」
「・・・」
難しい顔をする青島。
神田は涼しい顔で言う。
「僕はやめたなんて言ってないよ。『クビにした』って言ったんだ」
「署長!」
怒って詰め寄る青島。
「だってさ、勝鬨の署長が『お前のところのあの猛獣はまだいるのか』って言うからさ、売り言葉に買い言葉ってやつ?つい言っちゃったんだよ。あは、あはは」
「あははじゃないっすよ」
「信じるかと思ったけど、信じたねぇ、やっぱり」
と満面の笑みで言うと、そのままどこかへ笑い声と共に去っていった。
その背中に向かって、鼻の上に皺を寄せて
「イ〜ッ!」
と睨む青島であった。

[2000年09月14日(木)]

真下が帰ってくると、すみれと和久がお茶を片手に笑っていた。
「私も経験あるけど、いいもんじゃないですよねぇ」
「まったくだ。あいつほんとに変わってんなぁ」
などと言っている。
気にせず席につこうとすると
「ふわぁ」
と大きな欠伸と共に現れたのは青島。
「せ、先輩どうしたんですか?」
青島はパジャマ姿であった。
「あ?おれ?別になんでもないよ」
と頭をポリポリ掻いている。
すみれが笑いながら説明した。
「一度留置場に泊まりたいって言って。ちょうど留置場空いてるし青島くん夜勤明けだし」
和久は
「どうだ、いいもんじゃねーだろ」
と青島を突つく。
「パジャマ持参したところをみると狙ってたんですね」
という真下の言葉は無視されたらしく青島は和久に
「いや、おれんち車うるっさいんすよ。ここは静かでいいっすねぇ」
と涼しげに応えた。
「また泊まろうかな」
などと言っていたがすみれに
「署長が宿泊費とるって言ってたわよ」
と笑われると
「そりゃマジィ」
と言い残して、どこかへ逃げていったのだった。

[2000年09月11日(月)]

土砂降りの中を駆けてくる二人。
カバンを傘代わりにして、たばこ屋の軒先に潜り込んだ。
「うわぁ」
二人同時にハンカチを出して濡れた身体を拭いた。
「何で傘持ってこなかったんだよ、お前」
怒っているのは青島。
「出がけに持って出ようとしたら『すぐ帰るから傘なんかいらない』って言ったの先輩じゃないですか」
これまた怒っているのは真下である。
「あれ?そうだっけ?」
「そうです」
大粒の雨が地面に叩きつけられているが空は明るい。
「通り雨ですね」
と真下はその空を見上げた。
「お前キャリアなんだからさ、ちょちょいっと電話で車呼べよ」
「どこのキャリアが車呼んでましたか」
「さぁね」
会話にならないのは青島がタバコの自販機に向かっていつもタバコを探しているからである。
「先輩だってこのへん仕切ってるんだから、誰かから傘借りてきてくださいよ」
「俺はね、こんな土砂降りでも傘がなくて困ってる人がいたら自分の傘をソッと差しだそうかなんて思ってるくらいだよ。それが他人から傘借りられるかよ」
「じゃあ早速僕が困ってますから貸して下さい」
「例え持っててもお前だけには貸さないね」
「何でですか」
「キャリアのお坊ちゃんに叩き上げの俺がなんで傘貸さなきゃいけないわけ?」
「先輩は叩かれるだけでちっとも上がってないじゃないですか」
「お前も言うようになったねぇ。でもほら、上がってるよ」
と青島が指を指したのは、雨雲の切れ間である。
いつの間にか雨も止んでいた。
「日頃の行いがいいから雨が止んだんだな」
「日頃の行いが悪いから大雨に叩かれるんですよ」
そう言い合いながら歩き出した二人の頭の上には、大きな虹がかかっていた。

[2000年09月09日(土)]

「ふわぁ」
と大きく欠伸をしている緒方の前は道路である。
たまたま通った車を見送ると、また交番の中に消える。
今日は派出所常駐の警官たちがそれぞれの事情で休んでいるので、今朝から急遽来ているのだった。
少し低めにかかっている鏡に、膝を曲げて自分の顔を見ている緒方。
帽子を何度もかぶり直してポーズをとってみせるがそのうち飽きてしまい振り返った。
すると入り口に7,8歳の少年がポツンと立っていることに気が付き、少し驚く。
「ぼうや、どうした?ん?」
腰を落として少年と同じ目線になると、目に涙が溜まっているのを見つけた。
「どうした?」
少年の顔を覗き込むと、しばらくモジモジしていた少年は
「これ」
と手を出した。
小さな手のひらの中に、百円玉が光っている。
「お、届けてくれたのか。ありがとう」
と緒方はニッコリ笑って少年の頭をポンと撫で、百円玉を受け取った。
「ちょっと待っててよ」
と振り返ると、調書は・・・、と言いながらあたりをキョロキョロ見渡した。
机の引き出しを開けてみるが、空である。
「うーん・・」
腕組みして唸ったあとに、少年の顔を見た。
涙のせいで出てきた鼻水を腕で拭きながら、緒方を見つめている。
「よし」
と緒方はいうと、自分の財布から百円を出した。
「これはおまわりさんからのプレゼントだ」
と少年の手に握らせた。
「正しいことをしてればきっと君にもいいことがあるぞ」
と微笑むと、少年もニッコリ笑った。
「それはそうと、なんで泣いてたんだ?転んだか?」
と緒方は足の先から頭まで見て言った。
「ううん」
と首を振る少年。
「お兄ちゃんに怒られたの」
「どうして?」
「百円拾ってね、アイスを買おうと思ったの。お兄ちゃんと半分にしようと思ったら、怒られたの」
まだ涙の跡が残っている。
「前に住んでたとこでお兄ちゃんもお金拾ったんだって。交番に届けたらおまわりさんに『正しいことをするといいことがある』って言われたって」
「へぇ」
緒方は目を丸くして聞いている。
「おまわりさんはちょーなんとかだって言ってそのお金をご褒美にくれたんだって」
「ちょーなんとか?」
「だからね、お前も正しい人になれって、お兄ちゃんに怒られたの」
「そっか。いいお兄ちゃんだね」
「僕もいいことがあるって言われたから、お兄ちゃんに自慢できるよ」
そう笑うと、手を振って飛び出ていく少年。
緒方も笑って手を振り返すと、青空に向かって気持ちよさそうにノビをしたが
「ちょーなんとかって、なんだ?」
と首を傾げた。

[2000年09月08日(金)]

「うわっ」
青島の叫び声は電柱の陰に立つ和久にまで届いた。
ひょこひょこ戻ってくる青島。両手に缶コーヒーが握られている。
「はい」
プルトップを開けて和久に渡す。
「お、さんきゅ」
まだ陽も高いからか、和久はそれをゴクゴクと飲んだ。
それを横目で見ながら青島。
「九月だってのに昼間はまだ暑いっすねぇ」
「そうだなぁ」
和久はコーヒー片手に帽子で自分を扇いでいる。
「もっと涼しくなりたいっすか?」
と青島は自分のコーヒー缶を和久の頬に当てた。
「冷たっ」
と一瞬言いかけた和久だったが、次の瞬間
「熱っ!」
と叫んで青島の手を払いのけた。
「なにしやがんだ、この野郎!」
と言いながら何度も頬をさすっている。
「そこの自販機、もうあったかいのはじめたみたいなんすよ」
「なんだ、はえぇなぁ」
「気付かなくて、ボタン押しちゃいました」
と笑いながら、リップを開ける鈍い音。
「暑いときには熱いものを飲むといいって、かーちゃんから教わんなかったか」
「だったら僕のと交換してください」
「やだね」
と、残りを美味しそうに飲み干す和久であった。

[2000年09月07日(木)]

「なんだか人が増えてません?」
キョロキョロしながら雪乃が訊いた。
「生活安全課が暇してて交通課にちょっかい出しに来るらしいよ」
と魚住が答えた。
「夏休み終わったから少年係あたりはちょっと手が空いたのね」
と雪乃は頷いた。
「でも交通課の方は秋の交通安全運動が近いから忙しいんだよねぇ」
と言いながら魚住はノビをする。
すると廊下をツカツカと忙しそうに歩く夏美が見えた。
その後ろを真下と青島がついて歩いている。
「ね、飲み会、やろうよ、ねぇ」
と夏美の背中に言いながらどこかへ消えていった。
ノビの形でしばし止まる魚住と、軽くため息を付く雪乃。

[2000年09月06日(水)]

ずっと壁の絵を見ていた神田が椅子を回して振り返った。
「それは困るよ君ぃ」
「いや困るとおっしゃられてもこれは運営委員会が決めたことですから」
手をこすり合わせているのは秋山である。
「ただのバドミントン大会だってバカに出来ないよ。勝鬨の署長が開会挨拶なんかしたらさ、僕はどうなるのよ」
いつの間にか立ち上がっている。
「はぁ」
「はぁじゃないよ秋山くん。やっぱり仕切るのは勝鬨署なんだなってみんなに思われるじゃない」
「いや、そんなことは・・」
「いい挨拶なんかされてごらんなさいよ。勝鬨の署長の株があがって『じゃあ次の丸の内署の署長に』なんてなったら、ねぇ」
と変な手振りをしながら秋山を指さす。
「いや、でもバドミントン大会くらいじゃ・・・」
「まだまだ青いね、秋山くん」
「はぁ」
「ちょっと運営委員会に掛け合おう」
と慌てて受話器を取る神田。しかし
「いや待てよ。僕に挨拶がまわってきても変なことしか言えなかったら逆に僕の評判が落ちちゃうねぇ」
とそのまま受話器を置き、椅子に深く腰掛けた。
「『本日のお日柄もよくぅ・・』じゃありきたりだしねぇ。秋山くんもいい挨拶考えてみてよ」
と振るがその秋山は
「しかし署長・・・」
また手を揉んでいる。
「なんだい」
「勝鬨の署長がやると決まってる以上、挨拶を先に考えても無駄かと・・」
「あ、それもそうだね」
再度立ち上がり受話器をあげる神田。
「で、秋山くん。今年の運営委員会はどこの係だっけ?」
「勝鬨署です」
「・・・・・」
渋い顔をしてしばらく動きが止まる神田。
うつむいてゆっくり受話器を置くと、顔を上げ
「しかしねぇ、君ぃ・・・」
と言いかけるが、既に署長室からは誰もいなくなっていた。

[2000年09月05日(火)]

「先輩の携帯、古いですねぇ」
真下が青島の手元を覗き込んだ。
「こんなもん、話せればいいんだよ」
と、青島は携帯のストラップに指をくぐらせクルクル回す。
その瞬間その電話がプルプルと鳴り出した。
「うわっ」
驚く青島。思わず手を引くとそのまま携帯は飛んでいく。
思わず目を閉じる青島と真下。
がいつまでも落ちる音がしない。そっと眼を開けると、すみれがちょうどその電話を取っているところだった。
「あ、青島くん?横で真下君と一緒に目つぶってるけど」
と電話に喋っている。
「はい、分かりました。伝えます」
というと電話を切った。
「ほら、電話飛ばして遊んでるんじゃないわよ」
と青島の手に携帯を載せる。
「あ、ありがと」
落ちたわけでもないのに思わず携帯を胸元にこすりつけて拭く青島。
「和久さんが手が足りないからテレポート駅前まで来てくれって」
と言われ
「分かった。ありがと」
と飛び出ていこうとする青島。
その腕をガシッと掴むすみれ。
「ところで青島君・・・」
「なに、またなにか奢るの?」
イヤそうな顔をする青島にすみれは
「携帯の裏に誰かと写ったプリクラが貼ってあるのなんて見てないからね」
と笑った。
ギクッとした青島は携帯を後ろ手に隠しながら
「あは・・あはは・・すみれさん何食べたい?」
と引きつっている。
「商談成立。何奢って貰うか考えとくわ」
とすみれは不気味に笑って去っていった。
その二人をずっと横目で睨んでいる真下。

[2000年09月03日(日)]

緒方と森下がバドミントンのラケットを持って走っていく。
「今年こそ勝鬨署の吉田君に勝つぞ!」
と気合いが入っていたが階段で躓いたらしく二人ともそのまま転がり落ちていった。
「スポーツの秋ですもんねぇ」
と、それを見ていた真下がのんびり呟いた。
「やっぱり秋はスポーツですよね。僕も何かするかな」
と席を立って腰をひねって体操らしきものをして見せた。
「先輩は?」
と訊かれた青島は
「俺は惰眠の秋だね。寝まくるよ」
と大きな欠伸をしながら応えた。
「先輩はいつも寝てるじゃないですか。秋だけ特別なんですか」
と茶化されたが
「秋はいつもより真剣に寝まくるんだよ。秋だからね」
と訳の分からない答えを返す。
「すみれさんはやっぱり食欲の秋ですか」
と訊かれたすみれは静かに本を読んでいた。
「どうせグルメ雑誌か何かだろ」
と覗き込むと、文庫小説であった。
くるりと振り返るすみれ。
「ちょっと聞いてよ、この主人公ったら」
と本の表紙をバンバン叩き
「せっかく作ってもらった焼きサンマとナスのみそ炒めをちゃぶ台ごとひっくり返したのよ。ひどいと思わない?」
と怒っている。
「何の本ですか、そりゃ」
と真下。
「期待を裏切らないよねぇ」
とは青島。

[2000年09月02日(土)]

「青島くんっ」
すみれはニコニコと青島の肩を叩いた。
「ん?なに?」
と振り返ると、目を丸くした。
「何これ?む、室井さん?」
すみれの手には、室井によく似た三頭身の人形がぶら下がっていた。
「たまたま弟がくれたのよ。UFOキャッチャーで取ったんだって」
紐に指を通してくるくる回して見せた。青島はそれを手に取ると
「可愛いねぇ。ここのところにシワまであるじゃない。そっくりだよ」
とおでこのあたりを指さしてマジマジと見つめた。
「黒いコートも室井さんらしくていいねぇ」
「でしょ?魔よけになるかと思って持ち歩いてるの」
すみれは笑った。
「でもこれね、ほら」
と紐の先に付いている十字架を、人形の後頭部に開く穴に差し込んだ。
「あっ」
ニヤッと笑う人形の口元からキバが生えてくる。
「ドラキュラなのよ」
すみれは十字架を出し入れして見せた。
「あははは。室井さんらしくていいねぇ」
青島は喜んで、自分も十字架を差し込み遊んでいる。
「室井さんにドラキュラなら、魔よけにはピッタリだよね」
と二人は笑うのだった。

[2000年09月01日(金)]

「なぁ、青島」
「なんです?」
公園のベンチに腰掛けている和久と青島。青島はパンをぱくついている。
「きったねーなぁ。物を口に入れたまま喋んじゃねーよ」
何かが飛んだらしくスーツの腹のところを叩く和久。
青島はコーヒー牛乳でパンを流し込んだあと、再度訊いた。
「なんです?」
「指導員やめるわ、おれ」
「!」
「おいおい、こぼすなよ」
驚いた拍子にコーヒーをひっくり返す青島。
「なんでです。どうしたんですか!」
コーヒーはこぼれたままである。
「これから寒くなんだろ?そうすっとここがな・・」
と腰を叩く。
「いてーんだよな。だから春になるまで寝てるわ。春んなったら起こしてくれ」
「何クマみたいなこと言ってんすか」
ようやくコーヒーを拾うが、すでに中身は空である。
「あ、一口しか飲んでなかったのにぃ」
口から中を見て怒る青島は
「和久さんのせいっすよ。コーヒーの分、貸しっすよ」 と口を尖らせた。
「俺は注意したのに勝手に拾わなかったんだろ。俺ぁ責任ないぞ。事故だ事故」
などと言っていると、どこからか悲鳴が聞こえてきた。
「おい、いつまでパン食ってんだ、いくぞ」
と勢いよく駆け出す和久。
立ち上がってその和久の背中を見た青島は、
「なんだ、冬眠する気なんてサラサラないんじゃないか」
と呟いたあと、その背中を追って駆けだしたのだった。

Copyright © 1999-2004 かず, All Rights Reserved.